アカハラの野鳥日誌

ただの日記

「ただ生きる」。オオソリハシシギ的な生き方とは? 

 時々人から聞かれることがある。「誰か尊敬する人はいる?」。私の回答は迷わず「いない」である。世の中で経済的に成功している人間が偉いのか? 歴史上に名を残すような事をした人間が偉いのか? 発言力があれば良いのか? はたまた何か目標を持って忙しくしている人間が偉いのか? 確かにそうかもしれない、いや恐らくそうなのだろう。でも私は人間なんて基本的に調子良い事言ってヘラヘラしている外見の飾りだけの利己的な輩ばっかりだと思っている。勿論私も含めてね(笑)。

 でも、心から尊敬できる生命体なら確かに存在する。オオソリハシシギである。なぜって、それは彼らはくだらない利害関係とか他者の評価とかそういった煩わしい概念を持たず、「ただ生きる」を実践している象徴的存在だからだ。先週友人と野鳥公園に行ったとき、幸運にもそんな彼らと出会うことができた。

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オオソリハシシギ、ここでは♀にしか会えなかった。

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チュウシャクシギ(左後ろ)の群れと行動を共にしているようだった。

 ちなみに5月には谷津干潟で茶色い♂も目撃している。

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♂の羽色は茶色。

 生きることに徹した生き方をするオオソリハシシギ

 アメリカの米地質調査所アラスカ科学センターの研究によると、そんな彼らは秋の渡りの時期を迎えると、少しも休むことなくアラスカから越冬地のオーストラリアまでの11000kmを約1週間ずっとノンストップで渡り切るだけの体力を有するという(ルートによっては途中日本に立ち寄ったりする上の写真のような個体もいるけれど)。

 もうやばくないですか? ノンストップっていうことは、当然だけど途中どこかでご飯を食べたり眠ったりしないってことである。寒い厳しい気候の土地から豊かな食糧源のある南国への長い道のりを「ただ生きる」ためだけに渡り切ってしまうのである。体力自慢でマウントを取るとかカッコ良い姿を見せるとかそういう感覚ではない。そういう感覚がないからこそ、私の目には彼らの姿が本当にカッコ良く映るのである。

 

 さて、ここからはボヤキである(笑)。課題、就活、仕事、バイトなど時々何のためにやらなくちゃならないのか分からなくなる時がある。それをやってどうなるのか? 更には、病んでるとかではなく(笑)、純粋な哲学的な疑問として自分は人生でどうしたいのか? 何のために存在しているのか? 時々こんなことを大真面目に考えてしまうのであるが答えは全く分からない。本当の意味で分かってる人がいたらスーパーサイヤ人並みにすごいと思うけど(笑)。

 でも答えを出す必要なんて多分なくて、しいて言うならオオソリハシシギ的な「ただ生きる」人生の美しさを追求するっていうが一つの回答なのではないだろうか? 少なくとも現時点での私の回答はそれである。彼らは自分自身美しくあろうなどとは考えていない。しかし、「ただ生きる」を実践することで恐らく私よりもずっと多くの地球上で起こっている出来事を日々否が応にも目にしているのである。誰も気に留めないようなことも含めてね。「ただ生きる」彼らを、カメラで夢中に追いかけているうちに私自身もまた彼らのように「ただ生きる」の実践主体となれた日が来たならば、それほどまでに幸福なことは多分ない。

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 ※参考

asahi.com(朝日新聞社):渡り鳥、ノンストップ飛行1万1000キロ 米研究 - 環境

(2021/7/1 最終閲覧)